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大雪山 縦走

旭岳⇒黒岳⇒白雲岳⇒忠別岳⇒天人峡
 山域  北海道 大雪山
 山行日時  2002年7月9(火)〜12日(金)
 登山形態  縦走
 メンバー  T世
 行程  7月9日 旭岳温泉⇒旭岳⇒黒岳
 7月10日 黒岳⇒白雲岳⇒忠別岳避難小屋
 7月11日 沈没
 7月12日 忠別岳避難小屋⇒化雲岳⇒天人峡



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北海道に上陸してはや20日。そろそろ本丸のひとつ、大雪山縦走も片付けておかなければ。3日ほど前から荷物と心の準備はできていたが、肝心の天気の方が悪くてくすぶっていた。携帯で天気予報とにらめっこの毎日だった。

■7月9日(火)  晴れ   旭岳ロープウェイ⇒黒岳石室

朝起きると霧雨が降っていた。でも、霧が濃くて霧雨になっているような感じだったので、山は晴れているような気がした。実際、旭岳温泉までに雲の上に出て、これから登る旭岳が望めた。ロープウェイからの景色は最高で、目指すトムラウシまでクッキリと見えていた。

ロープウェイ(6:45発)⇒姿見駅(7:00発)⇒7合目(8:01〜17)⇒旭岳(9:11〜42)⇒間宮岳(10:37〜11:00)⇒北鎮岳分岐(北鎮岳へ11:57〜13:07)⇒黒岳石室(14:05)


富良野岳まで縦走の予定で、8日分の荷物を背負っておりさすがに重い。旭岳の登りはかなり抑え目に歩いた。登るにつれて展望が開け、東大雪の山々も見えた。7合目からは利尻も見えて感激。旭岳に登ると反対側が見えた。ここからトムラウシまでは、稜線歩きというよりも高原歩きといった感じだ。この縦走の1つ目の山が北海道最高峰というのはちょっとシャクな気がした。しかし、何故か反対側からの縦走というのは一度も考えなかった。雌阿寒岳、斜里岳、知床連山も確認。さすが北海道の真中だ。


山頂からは雪渓下りで快適。間宮岳まで来ると、黒岳石室が見えた。あと北鎮岳の登りさえ登ってしまえば、あとは楽勝そうだった。ここまではガラガラした所が多く、花はあまり咲いているところはない。それでもメアカンキンバイ、ツガザクラ、キバシャクナゲ、エゾコザクラ等代表的な花は見ることができた。時期的に少し早い気もした。

北海道第2の高峰ということで、北鎮岳を往復してくる。あとは下りベースなので楽勝気分だったが、見た目よりも距離があり、意外と時間がかかった。黒岳石室のテン場には先客が2張り。よい場所は残ってなくて、仕方なく発電機よりに張った。黒岳を往復しに行きたかったが、ガスが出てきて真っ白けになってしまう。しばらくゆっくりしていた。

3時半頃になって晴れてきたので黒岳へ。山頂からは層雲峡やロープウェイの駅が見えた。森林限界をはるかに超える山頂なのに蚊が多くて参った。テン場に戻り、小屋でビールを買った。テン場にも蚊がいっぱい。エスパース2張りの団体さんは、豪華そうな夕食だったが、こちらはレトルトのどんぶり。外人さんが到着。話をすると、ロープウェイには乗らずに、下から歩いて登ってきたそうだ。カナダの人で、カナダにはロッキーとか大きな山はあるが、火山がないので日本に来たと言っていた。稜雲岳の山頂に日が落ちた。

■7月10日(水)  晴れ 夜は雨   黒岳石室⇒白雲岳⇒忠別岳避難小屋

黒岳石室(5:25発)⇒北海岳(6:45〜56)⇒白雲岳分岐(白雲岳へ7:50〜9:08)⇒白雲岳避難小屋(9:30〜50)⇒高根ヶ原分岐(10:37〜50)⇒忠別岳(13:17〜14:02)⇒忠別岳避難小屋(14:57着)

桂月岳からの日の出

夕べは発電機の音よりも、エスパースの団体さんの声の方がうるさかった。登山を始めた頃はよくご来光を見たが、最近では見に行くことはなくなった。しかし、今日は気分がよかったので桂月岳まで見に行くことに。太陽は思っていたところよりもずっと北から登ってきた。きのう沈んだのが北西とすると、日の出は北東からくらい。日の出自体はなんてことなかったが、朝焼けの景色がすごくきれいだった。

テン場に戻るとカナダ人はすでに出ていて、エスパースの団体さんも出るところだった。うちらはこれから朝メシだ。赤石川周辺は雪渓がたくさん残っていた。ここらへんも花にはまだ早いようだ。北海岳の登りで団体さんを抜いた、抜く時に大雪山の固有種である、キバナシオガマを教えてくれた。珍しい花なんだろうなあと思いながら歩いていたが、そこらへんに群落となって咲いていた。

白雲岳の分岐にはザックはたくさんあったが、人は一人もいなかった。みなさん白雲岳をピストンしに行っているようだ。山頂には数名いて、あとで団体さんも登ってきて大賑わいだった。団体さんは三島労山御一行とのこと。山頂からは高根ヶ原が一望。泊まる予定の忠別岳はまだずっと先だ。

ひと下りで白雲岳避難小屋。テン場はこっちの方が快適そうだ。次来ることがあれば、ここに泊まるプランで来たい。小屋の外で休んでいると、だいぶ先を歩いている這はずのカナダ人が戻ってきた。「タイフーン!2日!レイン!」「旭岳温泉に降りる」と言っている。何故だか聞いてみると、台風が近づいているとの情報を聞いたかららしい。台風6号は日本の南海上を通過するものと思っていたが、小屋の人に聞いてみると、やっぱりこっちに向かって来ているらしい。まあ行くしかないだろう。小屋の人の話では、きのうヒサゴ沼の小屋には定員30名のところ60人泊まったらしい。小競り合いとかもあったらしく、テントがあるならテントのほうがいいよ、と言われた。

高根ヶ原からの旭岳


うちらが行くというと、カナダ人も一緒に来るという。ここからは3人で歩いた。25日間のバケーションで日本に来ていて、このあと大峰山、高野山に登り、京都、奈良を観光する予定らしい。ずっと前ばかり見ていたが、ふと後ろを振り返ると白雲岳、旭岳がきれいだった。

高根ヶ原の分岐を過ぎたあたりで、これまでのんびりと歩いていた三島労山のピッチが急に上がった。聞くと、忠別までの予定だったけど、今日のうちにヒサゴ沼まで行くことにしたらしい。みなささっきまでの和やかな顔とは違い、険しい表情に変わっていた。

忠別岳に着くとIモードが通じたので天気予報を見る。するときのうの予報とはガラリと変わって、この先雨続きになっていた。雨は夜のうちから降り出すようで、明日は一日雨で、降水量も多くなりそうだった。あとはテン場に下るのみだったが、ハイマツのトンネルに苦しめられた。分岐からはハイマツをくぐり、雪渓を少し降りたら小屋とテン場があった。見ると、三島労山の人がテントを張っていた。やっぱりヒサゴ行きはあきらめたみたいだ。

疲れたのでゆっくりしたかったが、雨が降る前にテントを張ってしまうことに。快適そうな平らなところがあったが、雨が降ると水溜りになりそうだったので、斜めだったが水が流れるところに張る。張り終えたところでポツポツときはじめた。

テントに入りラジオをつける。台風は現在東海沖にいて、明日未明に関東か東海に上陸。北海道では太平洋側が明日、オホーツク海側があさってにかけて大雨になるとのこと。そして、台風7号も同じようなコースを通ってきていて、週明けには接近の恐れがあるようだ。

明日はどうしよう・・・。大雨の中天人峡に下山するか、ここで沈没しておくか・・・。台風が早く過ぎてくれれば、ここでがんばるのだが・・・。しばらく様子を見て決めるしかない。

雨はしだいに強くなってきた。寝る前に念のため張綱チェック。大丈夫とは思ったが、安心できるので張綱を追加して、合計8本とっておいた。

■7月11日(水)  雨   忠別岳避難小屋で沈没

5時半に起きたら、すでにカナダ人、三島労山ともに出発したあとだった。うちらは沈没決定。台風は朝6時現在で福島のいわき市沖を北上中。その後速度を上げ、昼過ぎにえりも岬沖に達するらしい。山口、岐阜、長野、埼玉、福島、宮城で死者、行方不明者、負傷者が出ているらしい。

することがないので、ガイドや地図を見たり、柔軟体操をしたりしていた。強弱を繰り返しながら、雨はだんだんと激しくなってきた。風はまだそう強くない。

10時ごろの天気予報では、台風は宮古市沖40キロにいて、夕方以降十勝地方に上陸する可能性があるらしい。太平洋側を中心に大雨洪水警報が出ていた。雨量は120ミリを超えているところもあるとか。ピークは夕方から夜にかけてか。やばくなったら、小屋に逃げることも考えよう。

午後になると柔軟体操にも飽き、ボケ−ッとしていた。どんどん天気が悪くなりそうだが、かえって午後の方が雨風ともに弱まった。夕方の予報では、6時ごろ十勝地方に上陸し、夜中に旭川を通過するとか言っていた。なんで旭川・・・。直撃か・・・。暗くなる前に、もう一度針綱の確認で外に出た。


■7月12日(木)  雨   忠別岳避難小屋⇒天人峡

寝る時は雨風ともにたいしたことなかったが、夜中になり急にテントがあおられだした。時計を見たら0時すぎ。接近中は意外と穏やかだったが、通りすぎてからの吹き返しがきつくなってきたのだろう。風向きは明らかに変わっていた。寝る前は谷からの風だったが、今は稜線側から吹き降ろしてきている。心配だったので、風雨の中張綱だけはチェックしておいた。過去、白馬岳のテン場で、寒冷前線の通過でテントをつぶされたことがあった。原因は張綱にあると思っており、それ以来張綱には神経質になっている。

忠別岳避難小屋(10:40発)⇒五色岳(11:40〜46)⇒引き返し点(13:45)⇒滝見台(18:00すぎ)⇒天人峡(19:00前)


回復しそうな気配があったら、ここを出ようと思っていた。10時までの出発なら南沼。昼までの出発ならヒサゴ沼にしようかと考えている。8時頃になると、突風の間隔が空いてきて、雨も幾分弱まってきた。10時頃に霧雨状態になり、出発を決意。

忠別岳あたりの稜線はそれほど風は強くなかった。ハイマツが密で、ハネ返される方がつらかった。五色岳あたりでは、なにやら太陽の気配も感じられるようになってきた。ハイマツの地獄が終わると、今度はホワイトアウト状態。化雲平というところか。晴れていればすごいお花畑で別天地のようだが、荒れているときは最悪だ。雪渓を横切るところでは、対岸がさっぱり見えず苦労したところも。化雲岳を過ぎると急に風が激しくなってきた。ここまでは天人峡への大きな尾根が、風を防いでくれていたのだろう。

ヒサゴに下っていると、若い男女とすれ違う。ヒサゴの小屋は満員で、テン場は水浸しとの情報を得る。風が強いので、このまま南沼まで行けそうにはない。ヒサゴもいっぱいとなると下山?トムラウシで遭難もあったとか。ここは落ち着いて、天気予報を確認してから決断することに。見ると雨マークが4日間続いていた。追いかけてきている台風の仕業なのか。天人峡まではかなり長いが、今から下れば暗くなるまでには下山できるのではと、急きょ下山することにした。

化雲岳からのだだっ広い尾根は、猛烈な風が吹き抜けていた。このあたりはこれまでで最大規模のお花畑となっている。晴れていれば天国だが、今日は地獄としか思えない。まったく逃げ場がないのである。化雲岳から少しのところに「天人峡まで10.5キロ」の看板。気が遠くなりそうだった。

小さいピークの岩陰で少し休んだが、すぐに寒くなり、手も動かないのですぐに歩き出す。ここから滝見台までは一気に歩く。登山道は川、ぬかるみ、池とかしていて、スピードが上がらない。ダラダラ下りなのでなかなか標高も下がらない。足は平気だったが、上半身の疲れが半端ではなかった。早く天人峡に下って温泉に入りたい。

滝見台からは樹林帯となり、6時をまわったので一気に暗くなってきた。目が見えない。アホなことに、テントを撤収する時、メガネを出すのを忘れていて、テントと一緒に丸めてしまっていた。横方向なら助かるかもしれないが、縦方向だったら壊れているだろう。

薄暗くなって天人峡に下山。少し下の公共駐車場にテントを張る。そのあと温泉へ。天人峡グランドホテルに行くと、時間は過ぎていたが入れてくれた。受付では遭難のことと思われる電話をしていた。風呂は最高に気持ちよく、生き返った気分だった。生き返ったとともに腹が減ってきた。このホテルでは食事ができないようで、上の天人閣の居酒屋のようなところでラーメンを食った。

明日は旭岳温泉まで車を回収する必要がある。旭岳温泉には1日3便のバスがあり、どれもが天人峡経由と思っていた。しかし、ホテルで時刻表を見ると、天人峡から旭岳温泉に向かうバスは夕方のみで、あとは旭岳温泉から天人峡という方向だった。夕方までは待っていられないので、登山道を歩いて旭岳温泉まで行くことにした。


北海道登山の旅(2002年)


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