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■12月30日(木) 晴れ 易老渡⇒易老岳
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便ヶ島(8:00すぎ発)⇒易老渡(8:35)⇒面平(10:35〜45)⇒易老岳(13:53着) |
下山を楽にしようと、便ヶ島へ車を置きに行く。易老岳の標高が2300mくらいと低いけど、登山口である易老渡の標高は1000mに満たない850mくらい。なんだかんだで、上高地から前穂高岳に登るくらいの標高差だ。気温は−3度くらい。雪はほとんどない。易老渡の駐車場には3台の車が止まっていた。
天気は快晴だが、荷は重い。2000年へと変わる年越しは、「1人寂しく豪華に!」がテーマ。酒やらつまみやら、余分なものをたくさん持ってきていた。今回履いてきたプラブーツは、イマイチ足にしっくりこない。ボクの足が幅広で短いのに対して、このプラブーツは細くて狭い。完全にハズレだ。雪が出てくればまだマシなんだろうが、夏道をこの靴で歩くのは苦痛だった。
急な尾根にジグザグが切ってある道、普通ならジグザグは緩く切ってあるのに、ここはえらい急だ。ヒーヒー言いながら登っていた。28日に痛めた肋骨も、変な形になると痛かった。時折、聖岳が見えている。南から見るせいもあってか、雪はかなり薄そうだ。
上までなかったらどうしよかと思っていた雪は、面平を越えたあたりから少しずつ見え始めた。見所もないし、チェックポイントもない、つまらない登りが延々と続いた。ただ、雪の上を歩くようになってからは、プラブーツでの歩きもだいぶ楽になってきた。「あと45分」という看板があった。恐らくここは三角点のあるP2254mだろう。ここからは尾根が痩せてきて、アップダウンを繰り返す。最後にきてのこのアップダウンはかなりきつかった。
易老岳の山頂は大阪弁の3人組に占領されていた。仕方なく縦走路の分岐まで戻った所にテントを張った。積雪は30センチくらいか。水を作りながらウォッカを飲む。ウォッカに雪を入れて、オレンジジュースをかけたのだが、これがまた美味だった。夕食はレトルトカレー。こともあろうにスプーン&フォークを忘れてしまった。何か変わりになるもの・・・・。カッターナイフは口を切りそうだし・・・。結局、ビジネスホテルから持ってきた櫛があり、それで食べた。今日はカレーだったからいいけど、明日はスパゲティー。櫛で食うにはちょっと・・・。寝る時の外の気温は−7度だった。ここ2,3日は暖かい空気が入っているので、かなり暖かいほうなのだろうか・・・?
易老岳(7:30発)⇒希望峰(10:25〜34)⇒茶臼岳(11:33〜50)⇒上河内岳往復(13:20〜45)⇒聖平(15:20着) |
目が覚めて時計を見ると5時20分。寝坊だ!目覚ましは鳴ったようだが、全く気付かなかった。おかげでたくさん寝れた。外の気温は−9度。松本とそうは変わらない。朝メシは焼きソバ。これも櫛で食った。なんとかなったが、明日はラーメンなので、焼きソバよりは食いにくそうだ。
歩き始める。希望峰と仁田岳が見えているなあ、と思いながら緩い下りを下っていた。しばらく歩いて、左に富士山が見え、右に中央アルプスが・・・。しかも太陽が左にいる。・・・・・・。なんで180度もくるってしまったのか?ただでさえ出発が遅れたのに、さらに往復で30分もロスタイムだ。あせるなといっても無理。ゆっくりゆっくり、と自分に言い聞かせたが、ゼーゼー言いながら引き返していた。やれやれだ・・・。
再びスタート地点である易老岳に戻る。開き直って休憩していた。雪がある時期なら、別に聖平まで行けなければ、適当に泊まればいいや・・・という気分になりかけていた。樹林帯の稜線は思ったよりも雪が深い。先に出ている2人組の足跡があるからいいが、稜線はわりと複雑で赤布も少ないので、トレース無しだとルートファインでリングには苦しんだかもしれない。
1時間くらい歩いたところで、先行の2名が休んでいた。そんなにきついラッセルではないと思うが、かなり疲れているみたいだ。ここから先に歩く。はじめはたいした雪ではなかったが、希望峰への登りにかかると状況は激変。急傾斜となり、太もも上くらいのラッセルになった。軽装だったらいいが、荷物が重いのでもうヒーヒーだった。それでも20分くらい登ったところで、5,6人の学生の団体とスライド。助かった・・・。でも、下りのトレースなので、ラッセルの苦労は少しマシになった程度。ただ、ルートを見る必要がなくなり、ただひたすらトレースを追えば良くなったので、ずいぶん気が楽になった。
希望峰の山頂は、樹林帯で展望がないが、風がないので気持ち良かった。ここから茶臼岳までは見た目近くに見えた。しかし、途中の船窪状のところでは雪が深く、足がズボズボはまって疲れてしまった。茶臼への最後の登りはバテバテだった。右後には富士山がきれいに見えていた。森林限界上は雪が少ない。ほとんど夏道が見えている。お花畑は雪の中かと思っていたが、ここも地肌が見えている部分が多かった。上河内岳への登りは夏道をたどる。
上河内岳の分岐に着く。はじめは時間がなさそうなのでパスするつもりだったが、だいぶ挽回して余裕が出たので往復することに。それでも、写真だけ撮ってすぐに降りた。空身で往復15分てところか。なんとか聖平に着くメドがたった。南岳への少しの登り返しでも息が上がるようになる。水の消費も激しい。こんなに着かれたのはいつ以来だろう・・・?聖平に近づき、樹林帯に入るとまた雪がたくさんに。疲れているのでズボズボはまるとグッタリくる。ヨレヨレになって聖平に到着。
聖平にはどのくらいのテントがあるのだろうと思いながらいたが、行ってみると1張りもなかった。みんな冬期小屋に入っているみたいだ。中をのぞいたわけではないが、結構賑やかだった。1人で乗り込むのは気が引けたので、テントを張ることに。明日の聖岳ピストンなどを考えると、小屋に泊まった方が楽なのだが・・・。
夕食のスパゲティーもなんとか無難に食うことができた。食後は酒を飲んだり、つまみに餃子を焼いたりしていた。7時頃にヒマになる。年越しまではまだ5時間もある。寝れなければ起きていてもいいなあ、と思いながらレコード大賞をラジオで聞いていた。知らないうちに寝ていた。夜中トイレで起きたら0時25分だった。どうせならあと30分早く起きていれば・・・。ラジオを聞くと、「2000年、2000年・・・」「ミレニアム、ミレニアム・・・」と、しきりに言っている。心配された2000年問題は、今のところ大きなトラブルは起きてないようだ。しらないうちにまた寝た。
聖平(6:14発)⇒聖岳(8:25〜50)⇒聖平(9:55〜10:50)⇒西沢渡(13:03〜12)⇒便ヶ島(13:49着) |
朝もラジオから「2000年、2000年・・・」と聞こえてくる。山にいると2000年になったんだという実感はそれほどない。でも、携帯電話を見て、日付が2000年になっているのを見た時、「オーッ」と思った。耳より目のほうが実感が湧くのかもしれない。今朝はテントをたたまずに出れるからうれしい。ここから見る限り、聖にはほとんど雪がついていないので、ピッケルもアイゼンも持って行かない。ナメ過ぎか・・・?
薄明るくはなっていたが、ヘッドランプをつけて歩き始める。ヤッケは着てないので寒いが、歩いているうちに暖かくなるだろう。気温は−11度くらいだった。東の空を気にしながら歩く。赤み始めてからがなかなか出てこない。谷間から富士山が見えてきた。富士山の脇から2000年初日の出が出れば最高なんだが・・・。ここでしばらく待機。待てども待てども太陽は出てこない。そのうちまわりが明るくなってきた。どうやら上河内岳の尾根から出てきそうだ。出てくるところは、だいぶ高い位置になりそう。待ってて損した。出てきた太陽はもうギンギンだった。
雪のついていないガラガラの夏道をひたすら登る。プラブーツには酷な道だ。聖岳の山頂に登ると北側の展望が開ける。雲ひとつない快晴だ。赤石岳から仙丈岳から全部見えるが、南アルプスのどの山にも雪がまともに積もっていない。樹林帯や北側の斜面にはそこそこありそうだが・・・。しばらく降ってないからなあ・・・。せっかく正月の3000m峰に登ったのに、これでは興ざめだ。
10時前には聖平のテン場に戻る。思ったより早く降りれたので、このぶんだと早く下山できそうだ。霜がたっぷりついたテントをたたんでザックに入れるのはイヤだなあ・・・と思っていたら、太陽がしっかり当たっていて乾いていた。メインザックにザックを変え、薊畑の分岐までまた登る。気持ち的には下山だし、荷物が重いため疲れた。きのうのうちに薊畑まで来れればよかったが、きのうの疲れようでは無理だしなあ・・・。
あとは西沢渡まで1300mの下りをひたすら下るのみ。樹林帯はけっこう下のほうまで雪が残っていて助かった。それでも最後の方は足が痛くて仕方なかった。西沢渡の徒渉点にはリフトのようなものが架かっていた。それは荷物用みたい。増水した時には心強そうだ。あとは便ヶ島まで、黒部の水平歩道のような道を歩く。30分ほどで便ヶ島へ。
このあと塩見岳に登る予定にしていたが、正月休に2回も雪のない南アルプスに登ってもおもしろくない。塩見岳はやめて北アルプスに行こう。途中で泊まるつもりだったが、いったん家に帰ることに。そして、翌日は上高地へと向かった。
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