山登りのページTOP 山行記録 山スキーのページ 沢登りのページ 北アルプス全山縦走 南アルプス全山縦走 リンク PLOFILE


白馬岳主稜

 体調が悪くてほとんど記憶がないが、登ったのは間違いなさそう・・・
 
 山域  北アルプス 白馬岳 
 山行日時  2001年4月28日(土)〜29日(日)
 登山形態  積雪期 バリエーション 
 メンバー  H野
 行程  1日目  二股⇒猿倉⇒白馬尻
 2日目  白馬尻⇒白馬主稜⇒白馬岳⇒白馬尻⇒二股
 温泉  白馬村温泉&観光スポット白馬村観光局



山登りのページ



名古屋ASCのH野君から八ヶ岳の天狗尾根に行かないかと誘いがあったが、GWの八ヶ岳ではもう雪が少なそうで、あまり魅力を感じなかった。どうせなら雪がたっぷり残っている北アルプスがいいなと思い打診。すると、白馬岳主稜に行こうということになった。白馬岳主稜はメジャーなバリエーションということは知っていたが、その気になって下調べしたことはなかったので、いったいどんなところやらわからなかった。まあ何とかなるだろうと、いつもの軽い調子で行くことに。

行程は初日に白馬尻まで入り1泊し、次の日に軽装で白馬主稜を登り、そのまま下山することにした。全装備を背負って主稜上で泊まるパターンもあったが、軽い荷物で主稜を登りたかった。




■4月28日(土)   晴れ   二股⇒白馬尻

二股(10:50)⇒猿倉(12:10)⇒白馬尻(13:40)

当日の朝8時頃、松本の我が家にH野君が来て、そのまま白馬へと向かう。猿倉への車道は白馬の町を抜けてすぐの二股でゲートが閉まっている。このゲートは残雪の多い少ないに関係なく5月1日から開くので、白馬尻に入るには5月になってからのほうが有利だ。時間的にもそうだが、林道を歩く苦痛がなくなるのはうれしい。二股付近には雪はほとんど残っていなかったが、猿倉付近まで来るとたっぷりと残っている。

猿倉に着いた時、H野君が買っておいたビールを車に忘れてきたことに気付く。ビールを忘れてきたことにかなり動揺していた。車へ取りに戻りそうな勢いだったが、猿倉の小屋で売っており一件落着。猿倉からは雪の上を歩くことに。終始進行方向に、明日登ることになる白馬主稜が見えており、期待感と緊張感がみなぎっていた。

白馬尻あたりには7,8張りのテントがあった。みんなここからどこに登るのだろうか・・・?主稜にはどれくらいの人が取り付くのだろうか・・・?だだっ広いので、みんな好きなところに張っている。ボクらは一応雪崩れや落石を警戒して、少し高台になったところに張った。天気が良くて気持ちよい。早く着いてヒマだったこともあり、2時間くらい昼寝をしてしまった。テントの中は暑いくらいだった。昼寝の後は夕食という名の宴会。8時ごろまで2人で盛り上がってしまった。



■4月29日(日)   晴れ   白馬尻⇒主稜⇒白馬岳⇒白馬尻⇒二股

白馬尻(5:10)⇒白馬岳山頂(12:20)⇒白馬尻(15:05〜45)⇒二股(17:30)

昨晩から少し違和感があったが、朝起きると体調がすこぶる悪い。体がけだるく、どうやら熱がありそうだった。それでも、とりあえずは動けたので出発することにした。8峰までは急だが広い斜面を登る。8峰からなら引き返すのも簡単そうだったので、8峰に着いた時点で行くか戻るか決めることにした。テン場を出て15分くらい歩いたところで、H野君がサングラスを忘れた事に気付き、テン場まで取りに戻った。僕の体調が悪いので、すぐに追いつかれてしまった。僕らの前には2パーティーくらいいた。後にも数パーティーいた。白馬尻で泊まっていた人たちは、ほとんど主稜に向かっているように思えた。スキーの人はあまりいなくて意外だった。

8峰に着く。ここでH野君に戻ることを勧められた。しかし、せっかくここまで来て撤退は考えたくなかったし、なんとかなりそうだったので先に進むことに。ここからは尾根も細くなってきて、両側も急斜面で落ち込んでいる。また、2ヶ所くらい雪が切れているところもあった。主稜は急斜面と緩斜面、時には少しの下りを繰り返しながら、クネクネと曲がりながら高度を上げる。

通して先行者のトレースがあり、我々はそれを忠実に追いかければ、自動的に山頂まで導いてくれるような状態だった。雪壁ではステップが階段のようについており、踏み外したりしない限りは、本当に階段を登るような調子で登っていける。とにかく、ピッケルをしっかりと突いて落っこちないようにしていれば大丈夫という感じだった。少し物足りなさを感じつつも、ありがたいという気持ちのほうが強かったような・・・。もし、トレースがなければ、難易度は格段にアップし、時間的にも大幅に

しかし、高度を上げるにつれて、体調がどんどん悪化していった。体調の悪化とともに、記憶のほうも飛びがちに。最後のほうでは、ピッケルを刺し、後を振り返ることなく、一歩一歩階段状のステップを登っていたことしか覚えていない。3番目に主稜に取り付いたのだが、どんどんと追い抜かれていく。長いこと歩けなくなり、30分に1回のペースで休憩するようになる。そして、1回の休憩も30分単位に。ボクは休憩中はほとんど眠ってしまっていた。H野君に起こされてまた歩き始める・・・という状態だった。気が付くと、ゾロゾロといた後続がほとんどいなくなってしまっていた。

記憶が少しあるのは最後の雪壁。ザイルを出して登っているパーティーがいたが、僕たちはフリーで登っていた。ピッケルを突きながら、もし足場が崩れたらやばいなあ・・・と思いながら登ったのを覚えている。懸念していた最後の雪庇越えもなく、あっさりと白馬岳山頂に登りついた。白馬岳主稜への本日最後の登頂者となってしまった。とうとう後続全員に追い抜かれてしまったのだった。

山頂でまた眠ってしまった。H野君に起こされて、最後の仕事である下山だ。大雪渓では尻セードを交えながら一気に高度を下げる。高度を下げるとともに、体調がずいぶんと良くなってきた。考えるに、高山病も併発していたのでは・・・?主稜の登りの時も、高度を上げるとともに、頭痛、吐き気、息苦しさ、けだるさ、眠気が増していった。大雪渓の中間くらいまで高度を下げると、けだるさは残ったものの、その他はほとんど解消されたような・・・。普通の体調のときは高山病とは無縁だが、ちょっと体調が悪いと高山病になってしまうのかもしれない。

白馬尻に降り付く。ピッケルがない!白馬岳の山頂ではあったのを覚えている。そのまま山頂に置いてきてしまったのか・・・?はたまた、大雪渓で尻セードして体調が思わしくない中、わざわざ白馬尻でもう1泊するのも馬鹿らしいので、テントをたたんで下山することにした。今はちょっと無理してでも、下山して家に帰ってゆっくりしたほうがずっと体にも良いだろう。トボトボと二股まで歩いて下った。家に帰って体温を計ると、39度近い熱が出ていた。この風邪はゴールデンウィーク後半の山行にまで食い込んでしまった。


■感想

結果的には無事に帰って来れたのだが、本来なら白馬尻出発の時点で撤退しておくべきだっただろう。遅くとも、引き返すことが可能な8峰で撤退を決断しておかなければいけなかったところだ。主稜上で動けなくなったり、滑落している可能性もあったと思う。遅いペース、長い休憩等、H野君には大変迷惑をかけてしまった。

今回は天候、雪質、トレース等に恵まれて、困難さはまったく感じなかった。これなら余裕で日帰りも可能だ(体調がよければ)。しかし、もしトレースがなかったら、難易度、コースタイム等、格段にアップすると思う。




TOPページ年度別山行記録2001年山行白馬岳主稜